SNS
しらす
CV : 鈴村健一
響灘の沖合に立つ白黒模様の灯台。西国一の海の難所と呼ばれた馬関海峡(現関門海峡)近くのこの場所で、庄屋「岩松助左衛門」は私財を投げ打って「灯籠堂」の建設に着手した。 その重要性から、事業は「西洋灯台」の建設として明治政府に引き継がれたが、岩松助左衛門は灯台の完成を見ることなくこの世を去った。